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源実朝公御首塚

首塚

 ここは、若くして非業の最後を遂げた鎌倉幕府三代将軍源実朝の首塚と伝えられている。実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝と北条政子の子として生まれ、建仁三年(一二〇三年)二月に十二歳で鎌倉幕府三代将軍となり、健保六年(一二一八年)十二月、武士として初めて右大臣となった人物である。

 実朝は、健保七年(一二一九年)正月二十七日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した際に、二代将軍頼家の子、公暁により命を奪われた。『吾妻鑑』には、首のないまま埋葬されたと記されており、首を持ち去った公暁が討たれたのちの首の行方については一切触れられていない。

 多くの謎の残る事件であるが『新編相模国風土記稿』(一八四一年)の東田原村の項に「源実朝墓 村の中程に在 塚上に五輪塔建てり 承久元年(一二一九年)武常晴 実朝の首級を当所に持来たり」という記述がある。

 この武常晴は、三浦半島地域を本拠地とした御家人、三浦氏の家臣であり、のちに一族は現在の当市寺山に移り住んだといわれている。なお、ここからほど近い金剛寺には、源実朝像が安置されている。

 実朝はまた歌人としても名高く、私家集に「金槐和歌集」がある。歌碑に刻まれた和歌はそれに収められた一首であり、近代を代表する歌人の一人である佐佐木信綱の筆によるものである。

ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも

 あはれなるかなや 親子をおもふ

秦野市指定史跡 源実朝公御首塚

東雲

実朝様の首塚に隣接する、田原ふるさと公園内にある「東雲」は、そば粉も水も秦野のものを使っているぞ! そば打ち体験もできる人気店。

金剛寺

実朝様の像が安置されている金剛寺。本尊の阿弥陀如来像は実朝様の持念仏とされ、武常晴がここに埋葬したと言われている。供養は臨済宗の僧、退耕行勇を招いたらしい。 供養のため造られた五輪塔があるが、近年修復されている。見学もできるぞ!

MAP

神奈川県秦野市 東田原1018-2

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武氏

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