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源為朝公上陸之跡

琉球王国は、源為朝殿が発祥という伝承がある。

保元の乱の後、伊豆に流される前に為朝殿は何故か琉球に渡る。
そこで妻を娶り、子を成すが、妻子を置いて伊豆に行く。

そしてその子が成長し、琉球の始祖、舜天になったという。

……。いやわかる。
何故琉球に行った上で伊豆に行くのか解らない、という気持ちはよく解る。

オレもわからない。

そして、保元の乱→琉球→伊豆の行程、想像上の為朝殿……泳いでなかった?

オレは泳いでた。(しかも鎧着て)

でも琉球王国では正史扱いされていて、この話を元に滝沢馬琴が『椿説弓張月』を刊行した。

琉球王国の正史とされる『中山世鑑』や琉球歌集の『おもろさうし』は江戸時代に成立してるから……まぁ薩摩藩との政治的ななんやかんやじゃなかろうか。

ちなみに琉球には平家の落人伝説も結構あるらしい。
……まぁ、あの辺の時代に、日本から来た者がいたんだろうなぁ。

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