閉じる

武氏

武氏は三浦の郎党。本拠地は武山の麓(横須賀市武)

一説によると、三浦義澄の息子が武氏を名乗ったともある。義澄の息子は、系図には「山口次郎有継」「三浦平六義村」「大河戸重澄」「三浦平九郎胤義」「三戸十郎友澄」しか残っていない。太郎か三郎、四郎、五郎、七郎(八郎)の可能性がないとも言い切れない。

武次郎義国

1213年の和田合戦の時に、和田義盛に加勢し、ただ一騎だけで出陣し、討死した。義国は地元の人々によって弔われ、一騎塚として残る。

江戸時代には地域住人の聖地として、「国土安穏」「五穀豊穣」「村中息災」「家運繁栄」を祈願する場として、聖徳太子塔や、不動明王像、地蔵や石碑も数々建てられている。

秦野市の研究によれば、武義国の妻は大友経家の娘で、実朝の乳母。義村の妻の姉妹でもある。

武常晴

義村の郎党。武義国の息子。実朝暗殺事件の時、実朝の首を波多野に持ってきて葬った。その後、寺山(秦野市寺山)に住む。

参考記事

源実朝公首塚

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 三浦胤義bot | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free